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必要なものが必要なところに届かない

●数百万人に飢餓の恐れ 南スーダンで国連調査
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120209/mds12020920010003-n1.htm

国連食糧農業機関(FAO)と世界食糧計画(WFP)という機関が、昨年スーダンから分離独立した南スーダンで今年、数百万人が飢餓に陥る恐れがあるとする報告書を発表したそうだ。そのうち100万人は深刻な食料不足に直面するという。世界に飢餓という問題が未だにあることは十分認識していたが、それでもこういう記事を見ると、驚いてしまう。

穀物生産量の減少、食料価格高騰、長引く紛争などの影響によるもののようだが、どうにかならないものなのだろうか。これだけ物流のインフラが整っていて、十分過ぎるほどの食料がある国も存在する中で、必要なものが必要なところに届かないというのは、何とも割り切れない気分になる。

現実的には、そういった地域への食料輸送が容易ではないのは理解できる。しかし、ある国や地域にはモノが溢れ、本当にそれを必要としている地域に、必要なものがないという不均衡な状態を、人間は長い間続けている。もう少し人間の英知をそういったところに傾けていくべきように思う。

基本的に、経済的な差が大きくなったり、その他の社会活動にも差が生まれてしまったりするのは、人間社会の中では、当然のことだと私は思っている。その差は努力に比例するものではないが、努力にも関係しているなと思うこともなくはない。(私は少し過激なことを言っているか?)

だが、この南スーダンのような話は全く別で、これこそ本当に不平等だな、と思う。不平等という言葉はいろいろなところで使われるが、多くの場合、正の数の中での差の話が多いように思う。今の南スーダンは負の数の領域であり、モノが溢れている国や地域はかなり大きな桁数を有する正の数の領域にある。謂わば、正の数と負の数を跨いだ差であって、正の数の中で繰り広げられる不平等とはまったくレベルが違う。
必要なものが必要なところに届けられるようになれば、皆が0より大きな世界になるわけで、早くそういう状態になってほしいと切に思う。

「必要なものが必要なところに届かない」という話は、奇しくも、日本の中にもあった。

●被災地の「入札不調」で対策=2月中に実施-前田国交相
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2012020900867

東日本大震災の被災地で公共工事の受注を希望する業者がなく、入札が成立しない「入札不調」が相次いでいるそうだ。この記事によると、被災地で復旧・復興工事が急増したことで人手が足りなくなり、人件費が高騰しているため、採算が取れない工事を業者が敬遠しているとのことである。

当然のことながら、採算が取れない工事を業者が受けないのは、仕方がないことだ。だが、必要なものが必要なところに届かないという事態は、問題だ。この点について私に何か妙案があるわけでもないし、もしあったとしてもそんなものは行政の偉いヒト達がとうに考えていることだろう。それに、この問題自体は、端的に言えば、お金の問題だから意外と簡単に解決できるのかもしれない。

私が気になるのは、人類の歴史が始まって以来、必要なものが必要なところに届かないという問題は解消されることなく、いろいろな場面で発生し、南スーダンのような深刻なケースも未だに問題になっているということ。高い知性があり、高度な科学を操るようになった人類も、このような基本的な問題を解決できないというのは、何とも虚しくやるせない。そんなことを2つの記事から思った。
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テーマ : ひとりごと
ジャンル : 日記

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辻 大志

Author:辻 大志
コンサルティング会社に勤める会社員。
この場を借りて、自分の意見や考え、日々の戯言を綴っています。
一人でも多くの方に読んでいただき、繋がりを持っていきたいと思っています。
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